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近代日本と東アジア
松田 京子




松田 京子まつだ・きょうこ

人文学部助教授、日本文化学科。専攻分野は近現代日本史、文化交流史。長期研究テーマは「近代日本と東アジア地域との文化交流史研究」。主な著書『帝国の視線―博覧会と異文化表現』。担当科目は『日本文化史』、『近現代日本とアジア』など。


 近代日本の歴史は、現在の日本の国境線内部にその範囲を限定しては、洩れ落ちてしまう多くの問題を抱えています。1945年までの日本は、東アジアを中心とした諸地域で植民地支配を行う「帝国」としての側面を有していました。この「帝国」としての経験が、近代から現在に至る日本社会において、思想や表象といった広義の「文化」領域に属する事象と、どのように相互に関連しているのか―このような問題を、私は歴史学的な手法で研究しています。  具体的には、(1)日本「帝国」初の本格的な植民地であった台湾に焦点をあて、そこで行われた植民地統治の具体的な様相の解明、(2)植民地台湾をはじめとした日本列島の周辺の諸地域を「他者」化して、「異文化」「異民族」として規定していく思考のあり方の分析、 (3)そして(1)の次元と(2)の次元が絡み合う次元として、日本「内地」における、「異文化」「異民族」に対する表象のあり方とそれを「鏡」 とする帝国意識の批判的考察、以上の3点を主なテーマとして研究を行ってきました。
 例えば、実質的な意味での日本初の万国博覧会は、今から約100年前に大阪で、第5回内国勧業博覧会という名前で開催されましたが、この博覧会を特徴づけるパビリオンとして、植民地として領有したばかりの台湾を展示物で紹介する植民地パビリオン台湾館や、「生身」の人間を「展示」したパビリオン学術人類館などがあり、これらのパビリオンは博覧会の中でも特に人気を博したといわれています。その意味で、台湾館や学術人類館といったパビリオンでの「展示」は、19世紀から20世紀の世紀転換期の日本社会における「異文化」表象の、1つの典型的な例だと思われます。
 私は、これらのパビリオンに焦点をあてて、一方では社会史的な手法に基づき、植民地としての台湾の表象および日本列島の周辺諸民族をめぐる表象の特徴を、それぞれの「展示」から具体的に明らかにしたうえで、それらの「展示」 が来館者に与えた影響や、当該期の日本社会に投げかけた波紋のあり方を考察してきました。また他方で思想史的な手法に基づき、植民地パビリオン台湾館における台湾先住民部門の展示の責任者であった伊能嘉矩という植民地官僚を取り上げ、彼が台湾先住民に関する「知」をどのように形成していったのかを、植民地統治開始直後の台湾での、伊能の調査活動との関連で考察しました。また学術人類館における「展示」に積極的にかかわった人類学者・坪井正五郎を取り上げ、人類学の「学知」という形をとる「他者」にかかわる思考様式を、「人種」概念を中心に分析してきました。このような考察・分析を進めることによって、植民地統治政策と各種調査活動の密接不可分な関係性、世紀転換期における社会進化論という知的枠組の圧倒的規定性、「他者」像から照射される「日本人」像の流動性、そこからもたらされる帝国意識の維持・強化といった一応の結論を得たことを1つの区切りとして、昨年、一書にまとめ『帝国の視線―博覧会と異文化表象』として刊行しました。
 そして、このような研究のさらなる展開として、最近は特に、植民地台湾において人口数的にも社会的ポジションという観点からも、圧倒的なマイノリティであった台湾先住民に焦点をあてて、彼ら・彼女らに対する植民地政府による統治実践のあり方を、台湾先住民社会に与えた影響を重視しながら、考察しています。また彼ら・彼女らを規定していく「帝国」の思考様式について、台湾先住民に対する歴史学的言説や人類学的言説、法学的言説などを対象に、植民地統治開始直後から日本の敗戦までの約五十年間の変化も重視しながら分析を進めています。
 今後は、日本―台湾関係史にとどまらず、日本「帝国」内部での人の移動、例えば、日本「内地」から樺太といった人の移動や、台湾から「満州」(中国東北部)へといった人の移動に着目し、人の移動にともなう「文化」の移動という観点から、「近代日本と東アジア地域との文化交流史研究」という長期研究テーマを掘り下げていきたいと思います。また、そのような人の流れが、日本「内地」の人々の生活や思考にどのよう影響を与えたのかも、具体的な地域社会にそくして考察していきたいと考えています。