.


文化的共生に向けて
カルデナス・アベル




カルデナス・アベル CARDENAS, Abel 

外国語学部助教授、スペイン・ラテンアメリカ学科。専攻分野はTeaching of Spanish/TESOL。長期研究テーマは「Foreign Language Education」。短期テーマは「Foreign language cu-rriculum development and the assessment of proficiency in Spanish as a Foreign Language」。担当科目は『スペイン語会話』『スペイン語作文』など。


 1980年代、マルチカルチュラリズムは、大きな期待を背負って登場しました。しかし、90年代後半になると「多文化主義先進国」を自認してきた国々、たとえば、カナダ・オーストラリア等の教育現場では、理念と現実の乖離を口実に、多数派から繰り返し不満が漏れるようになり、その綻びは早くも露呈しました。他方、多文化主義という用語こそ公式には使用しませんでしたが、1970年代に入ると同化政策によらず、民族や言語、文化などの差異を認め合いながら共生の可能性を探ろうとした国がありました。私の国メキシコです。しかし、その国でも1990年代中葉になると、やはり、教育の矛盾が先述の国々とは異なる形、すなわち授業のボイコットや武装蜂起という形で噴出しました。それは少数派からのアクションであり、多数派から不満が出てくる「多文化主義先進国」の軋みとはまさに逆方向の現象でした。その問題は、それまでまったく注目されてこなかった予想外のものでした。私の研究テーマは、異文化教育を前提とした2重言語教育ですが、メキシコのその現象はきわめて重要で、無視できないものと考えました。そこで、私は、メキシコの事例を単なる例外とは見做さず、その国が実施してきた1970年代からの教育現場の取り組みと矛盾に焦点を当て、メキシコ流の多文化主義が、理念・政策・実践においてどのように生かされ展開してきたかを検討するとともに、その多文化主義をめぐる問題がなぜ「先進諸国」とは別の形で表出するのかという理由を考察しなければならないと気づきました。そこで文部科学省が公募する「科学研究費補助金」を申請しました。それは運良く認められ、今年度から3年計画として交付していただけることになりました。
 文化の多様性の擁護は、ユネスコ世界宣言にもあるように「人間の尊厳と分かちがたく結びつく倫理的必須課題」です。しかし、このことは、多文化主義が内包する限界やそれが誤って適用された場合に生み出される狂信的な不寛容まで認めなければならないということを意味しているのではありません。私の研究は、多文化主義の実践を無条件に賞賛するのではなく、現実に噴出している問題を直視し、それが内包する弱点・限界を実証的に考察し、失敗からそれを鍛え直す可能性を探ろうというスタンスをとります。言い換えれば、多様性を擁護しながらも、常にその行き過ぎをチェックし、それを慎重に育んでいく必要があるという立場に立つわけです。こうした問題意識をもつことで、ややもすると教条的になりがちな多文化主義を、より実践的な方法論に転換する可能性を探ることができると考えます。あいにく、これまで多文化主義は、その可能性ばかりが強調され、その限界に関する実証的な分析はほとんどありませんでした。そこで私の当面の研究は、まずメキシコの事例だけに限定し、そこを舞台として現れてきた問題点を明確にし、将来必ずや必要となるであろう「多文化主義先進国」(たとえば、カナダ、オーストラリア等)との比較研究に耐えうるような資料の集積と考察を行うことです。そうすれば、国際比較を実施するための基礎研究から出発し、それを通して多文化主義をめぐる議論がさらに活性化、そしてそれが近い将来、教育現場で有効に実践されるという期待が持てるわけです。
 ところで、メキシコの多文化主義的教育の事例について日本で知られていることは、まだまだ限られていますが、一言でいうと、その国の教育における多文化主義は、従来、国内外の研究者たちから沸き上がってきたインディヘニスモ(先住民の擁護とその復権のための運動)を論ずることで、それに代えられてきたという点を忘れるわけにはいきません。周知のように、インディヘニスモ論は一般に先住民のおかれた社会・文化的状況に最も関心を寄せてきましたが、多文化主義研究としてはそれだけは不十分です。先住民は社会的にも文化的にも決して一枚岩ではないし、彼らはもはや周りの世界と隔絶して生活しているわけでもありません。彼らは、好むと好まざるとにかかわらず、国家の施策の中に組み込まれているのです。とすれば、「先住民にはじまり先住民に終わる」というような硬直したインディヘニスモ論はいったん脇に置き、時には、ある先住民族と他の先住民族、あるいは彼らを取り巻く多数派との関係に目を向けるというような、より広い視点が必要となります。多文化主義にもとづく教育プログラムをその綻びの検討により鍛え直すという視点を私の研究で強調するのはまさにそうした理由によるものです。多文化主義の理念をどのように実践に応用できるか、またそのための政策としていかなる条件が必要であるかを考察することが、文化的共生の実現のためになによりも大切な前提であると考えているからです。
(訳 加藤隆浩 外国語学部教授)