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 7月4日、須磨千頴名誉教授の「復元できたひとつの荘園―上賀茂社領へのアプローチ」と題する恩賜賞・日本学士院賞受賞記念講演会が、名古屋アソシアマリオットホテルで行われた。これは、先生が日本学士院賞と恩賜賞を併せて受賞されたことを記念して、南山大学が催したものである。この賞は、最も優れた学術的業績に贈られる、いわばノーベル賞の国内版ともいえる最高の賞で、須磨先生ならではの受賞といえる。



 須磨先生の研究の出発点となったのは、大学のゼミで渡されたわずか11行の史料「賀茂永清院尼貞順田地売券」であった。このようなわずかに残された中世史料を博捜しながら、豊臣秀吉が行った太閤検地の帳簿と付け合わせて、中世の上賀茂社領の土地の実態を解明していくという、気の遠くなる研究に着手されたのである。検地帳に記載されている字名ごとに、古代以来の田畑の地割である条里の形状を基礎にして、田畑の方向、面積、耕作者を一つひとつ集計しながら、白地図に落として、中世の姿を復元していくのである。
 以後40年、ようやく完成の域に達することができた先生の研究の経緯を、今回の講演会で2時間に渉ってお話された。パソコンを使えばもっと短時間でできると思われるかもしれないが、そうではない。手作業によってできた研究であるからこそ、私たちは深い感銘を与られたのである。いよいよ、研究で明らかにされた内容に入るところで時間切れになってしまったことは、返すがえすも残念であった。この点については、受賞された大著『賀茂別雷神社領の復元的研究』(法政大学出版局)を読みこなすことはできなくとも、この日に私たちがまとめて刊行した先生の小論集『歴史の枝道』(南山大学)と、来年三月に「南山大学学術叢書」の一冊として刊行予定の『荘園の在地構造と経営』(吉川弘文館)を読まれることをお勧めする。
 先生が地図上に復元された景観は、いまは残っていない。古代以来人びとが耕作の単位として活かしてきた条里は、日本農政の最悪の失敗である圃場整備で跡形もなく破壊されてしまった。字名は、住居表示によって、地名の由来に無頓着な、何でも有名な地名に南北を付けたがる役場吏員によって廃棄されてしまった。一体そこに何が残ったか。最後の先生の告発は、さらに私たちの胸を打つ言葉であった。
 この老碩学の警鐘を私たちはどのように学問の中に取り込んでいくことができるのであろうか。研究姿勢を問い直す、またとない機会となった講演であった。
(川崎勝 経済学部教授)