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文学をめぐる
インドネシアの文化史
森山 幹弘




森山 幹弘 もりやま・みきひろ 

外国語学部助教授、アジア学科。
専攻分野はインドネシア文学・歴史。長期研究テーマは「インドネシアにおける言語文化をめぐる文化史」。短期研究テーマは「インドネシアの国語政策下における文学とアイデンティティー」。担当科目は『インドネシア文学研究』、『インドネシア語読解』。


 私の研究は広い意味でのインドネシアの文学を対象としていると言えます。文学をそのテキストだけに限らず、文学を巡る様々な営みや装置、あるいはその言説をそれらの時代背景と社会の中で考察したいと考えています。つまり文学を切り口として、インドネシアの文化と社会の諸相を明らかにすることが目標です。手法については日本の明治時代の近代文学を扱った研究とオランダの文学研究に触発されてきました。近代文学の形成過程を辿る歴史的な考察の試みを行う一方、現在進行している文学に関わる様々な現象にも興味を持って研究を行なってきました。正直なところ、古い時代のことばかりを論じてもなかなか一般的興味を惹くことは難しいので、文学、文化の現在の新しい動きを追うことでバランス感覚を持とうとしてきました。原稿の依頼ももっぱら後者の方ですし、学生の皆さんの関心も後者にあるようです。文学研究の授業では歴史的に言語と近代文学の形成過程を考察しながら、現代文学を鑑賞するという二つの方向性を持たせています。
 歴史的研究としてこの15年あまり取り組んできたのは、19世紀の半ばから20世紀初頭のインドネシアがオランダ領東インドと呼ばれた時代です。特に、ジャワ島西部のスンダ語(現在、言語人口約3000万人)を取り上げて、その近代文学の形成過程をオランダ側の資料とスンダ側の資料を突き合わせて論じたのが博士論文(ライデン大学)でした。既存のスンダ文学はオラリティー(声の文化)と密接な関係を持つものでしたが、オランダ人によって持ち込まれた西洋的文学観は文字に依存するものでした。植民地行政によって導入された学校教育と教科書、そして印刷技術などを背景として新しい文学が生まれました。言い換えると、極めて植民地的なコンテキストのなかで近代文学が創造されていったのです。その歴史的な過程を、特に印刷されたスンダ語のテキストを材料として、その書き手、出版社、流通経路、植民地言語政策、読者などをそれぞれに分析して実証的に研究を行いました。興味深いのは、西洋的な文学観が学校教育によって浸透し、それがスンダの近代文学の一つの起源を形成するようになったこと、また近代文学の形成とともに既存の文学伝統においては音読もしくは「朗誦」されるものであった読書形態が「黙読」になっていくことです。それに伴い、文体も韻文中心であったものから散文へと変わっていき、20世紀の初頭にはスンダ語の文学において小説という新しいジャンルが生まれました。この研究成果を英語とインドネシア語の2つの言語で出版すべく目下準備中です。特に、インドネシア語版の出版は、長年の夢でした。何よりも20年以上も関わってきた研究対象地域の人々にこの研究で判明したことを読んでもらいたいと思っています。
 およそ150年前に遡る研究にやっと区切りがつき、次なる研究対象として50年前に一世を風靡した大衆小説(インドネシアではロマン・ピチサンと呼ばれています)を考えています。先の研究で扱ったのは専らその担い手が社会のエリートでありインテリであった人たちの言語文化の営みでした。今回は、推理小説、恋愛小説、時代小説など娯楽性が高くそれぞれがシリーズとなっている庶民的な読み物を対象として研究してみたいと思っています。これらは廉価で、本の作りも粗末ですが、1950年〜60年代に人気を博しました。その時期はインドネシアが政治的に独立を達成し、国造りに試行錯誤を繰り返していた時期です。国家統一言語としてのインドネシア語政策(以前はインドネシア語はムラユ語と呼ばれスンダ語と対等の地位であった)の下で、第二言語の地位に追いやられたスンダ語の出版活動はインドネシアという大国家主義に対するそれぞれの民族集団のアイデンティティーの問題の一つを提起しています。文学およびその言説を論じる際、インドネシアのような社会と政治が目まぐるしく変化する社会においては、作品自体の分析とともにその社会や文化を含めて論じるアプローチが大切だと考えています。
 社会と文学の関係、あるいは文学は社会の中で書かれるという観点はスハルト体制下およびその崩壊後の現代インドネシア文学についても有効です。文学は社会のバロメーターとしての役割を担っているとさえ言えるかもしれません。数年前に日本国内の3ヶ所で行なったインドネシアの著名な作家の短編の朗読会と講演「戦略としての文学」では、予想を上回る反響を得ました。
 現代の文学作品からインドネシア社会を描き出すという試みは、文学作品の翻訳と併せて今後も取り組んでいきたい研究テーマの一つです。そのような取り組みを通して研究成果が社会へ還元でき、私がモットーとするインドネシアと日本の社会への貢献につながればと願っています。
 もう一つの研究テーマは、語学教育です。私は15年あまりインドネシア語教育に携わってきました。インドネシア語の教育教材の開発は、他の言語と比較するとかなり遅れています。本年度やっと南山大学の学生用に教科書を編集しましたが、まだまだ教材の不足は否めません。エクステンションカレッジでのインドネシア語講座も定着してきたので、さらに語学教育の教材開発にもアジア学科の教員と協力して努力していきたいと考えています。