.

南山キリスト教教育センター便り(5)


ニーバーの言葉から
 「神よ、変えられるものを変える勇気を、どうぞお与え下さい。変えられぬものを受け容れる静謐(せいひつ)を、どうぞお与え下さい。そしてその二つを見分ける知恵を、どうぞお与え下さい。」
 この有名な祈りの言葉は、現代アメリカを代表する神学者ラインホルド・ニーバー(一八九二〜一九七一)が一九三四年の夏、マサチューセッツ州ヒースの別荘近くにある小さな教会の礼拝式中で説教したときに語られたものだ。「変えられるもの」と「変えられぬもの」を「見分ける知恵」を持っているとしたら、人生は、社会は、地球は今とは違った姿を呈していたはずである。なぜなら、あらゆる不幸と苦しみは、つきつめればこの二つのものの混同ないしはその違いの無視に帰するからだ。「変えられるもの」を変えられないと見なすあきらめ、わかっていても変えようとしないかたくなさや勇気のなさ、逆に「変えられぬもの」を変えようとする無謀さ、愚かさ。
 では、「変えられるもの」と「変えられないもの」とがはっきりわかったらどうするか。ニーバーは「変える勇気」と「受け容れる静謐」を願っている。見分けるのは知恵だが、見分けた後は「意志」の領分である。このままではいけないと分かったとき、具体的に動く勇気や思いきりの良さとひたむきな努力が求められるのに対し、他方では、避けがたい困難や克服しがたいハンディを受け容れる落ち着きも非常にだいじだ。勇気と静謐は一体である。静謐を知らない勇気は向こうみず、勇気を持たない静謐は卑屈と言える。
 だが、「変えられぬもの」とは英語の原文では「変えてはならぬもの」とも訳せる。これだと事態は異なる。技術や力で変えることができても、そうすることが許されてはならぬもの。これを見分けるのは知恵というより正しい「価値観」だ。これが、いま、我々の時代に最も必要とされるものだ。とくに、変えようとするその動機が、「進歩」という美名のもとに隠されたエゴであるならば、断固として反対する勇気が必要だ。
(宗教教育委員会委員 久松 英ニ 総合政策学部助教授)