第14回

人類文化の理解

吉田 竹也



「異文化理解」への学生の関心は高い。教室は満席

 「文化人類学A」は共通教育の分野科目のひとつである。南山大学には人類文化学科があり、文化人類学関係の授業はかなり充実している。もちろん他学科生も履修可能である。だから細かい知識の提供は学部や学科の科目群に任せることにし、この講義では「異文化理解」をテーマとして文化人類学の考え方のエッセンスを感じとってもらうことを目標にしている。
 講義は、まず人間にとっての文化の意味を確認することから始める。人類進化のプロセスや環境適応について簡単に触れながら、文化(道具や技術、言葉、知識、社会など)が人類の生存手段であり、全ての人類に共有されるものであると同時に、地域や時代によって多様でもあるということを指摘する。そして他の生き物は長い時間をかけた進化の過程で種に固有の生存手段に磨きをかけるのに対して、人類はきわめて短時間に生存手段たる文化を改良し、仲間に伝え、さらなる改良に接続させていくことができることを指摘する。
 ここで学生に問いを投げかける。そうした人類の生き方を肯定的に見るべきか、否定的に見るべきかと。例えば他の生物は身体に付着した武器の改良に進化の長い時間を必要とする。しかし人類は身体から切り離された武器を短時間に改良・開発できる。だから、人類はおろか地球の生物のほとんどを殺戮しうる兵器を持つまでに至っている。また人類は発達したコミュニケーションの体系をもっているので、過去の怨念を世代を超えて伝え、しかも増幅させることもする。人類という生き物のおこなう殺し合いが途方もなく悲惨であるのは、人類が文化を生存手段とする特異な生き物だからなのである。
 もっともそうした悲劇を回避する手段となるのも文化である。いずれにしても人類が文化を生存手段としない生き方を選択することは不可能であろう。そうであるならば、多様な文化を目の前にしていかによりよく生きるかを模索するしかないだろう。ここに異文化理解の必要性がある。こうして講義は本題の異文化理解に入っていく。ここからが本番であり、またそこでは「価値観」という意味で文化概念を再規定する作業が必要になってくるのだが、これについて説明する紙幅の余裕がない。
 おおむね学生は興味をもって受講してくれている。今年度は、出席はとらないが八割以上の学生が授業に出てきている。学生が文化人類学的な考え方のコツを多少とも身につけてくれることを願う次第である。

(よしだ・たけや 人文学部助教授 人類文化学科)