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南山大学ホーム日本語トップ総合案内南山ブレティン196号No.6
南山ブレティン196号
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研究

写真:岡地 稔 教授

岡地 稔(おかち みのる)
外国語学部 ドイツ学科 教授


専攻分野は西洋中世史。
研究テーマは9・10世紀フランク・ドイツの権力構造、ヨーロッパ中世のあだ名文化。
主な担当科目は「ドイツ研究入門U」「ドイツ中世史」「西洋史B」。

ピピンはいつから「短躯王」と呼ばれたか

歴史上、過渡期といわれる時代は幾つもあります。9世紀から10世紀への、フランク王国からドイツ・フランスへの転換期も、その一つです。既存の秩序が大きく変わろうとし、人びとの欲望・思惑・打算などが直截に現れてきます。その際たる例が一国の最高位である国王位の獲得をめざす動きで、幾つもの「国王選挙」をへてドイツ・フランス国家が輪郭を現します。私の研究の一つは「国王選挙」を手掛かりに、フランク王国の崩壊からドイツ王国の形成にいたる歴史のダイナミズムを追求するものです。

もう一つ、いつの間にか始めてしまったのが西洋中世における「あだ名」の研究です。「獅子心王」「赤髭王」「黒公」などと中世の人びとはよくあだ名で呼ばれています。筆者の著書『親鸞とキェルケゴールにおける「信心」と「信仰」』『日本におけるキリスト教』何故だろうと久しく疑問に思っていて、少しずつ調べ始めたのがきっかけです。やり始めますと、中世の人びとの心性や名前の問題など次々に面白いテーマに出会います。私が実際に行った例を示します。右下はとある修道院の所領明細帳の挿画です。詞書によると左右に描かれているのはカール大帝とその父ピピンです。研究者たちは何の根拠も示さず、右をカール、左をピピンとしています。無理もありません。左の人物は背丈が低く描かれ、ピピンは「短躯王」と呼ばれるのですから。挿画を描いた人もこのあだ名を知っていたのでしょう。実は件の所領明細帳はいつ成立したか論争があるのです。ピピンはいつから「短躯王」と呼ばれるようになったのかが分かれば、この問題が解けるのでは? どうでしょう、面白くないですか。