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南山ブレティン191号
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野外宗教劇「受難」

野外宗教劇「受難」は、古くから続く南山大学を代表する伝統行事で、イエス・キリストのエルサレム入城からゴルゴダの丘における十字架上の死を経た復活までを、大学公認の課外活動団体「野外宗教劇」部員の学生たちが演じる野外劇です。出演はもちろんのこと、演出、脚本、衣装、メイク、情報宣伝その他「受難」に関わるすべてのことを学生たち自身が行い、基本的に同じ筋を辿るストーリーにも毎年新たな解釈が加えられており、来場者の方々に毎年新たな楽しみを提供しています。

今年は「誠実に生きること」をテーマに脚本が作成され、特定の登場人物を大きく取り上げることなく、イエスの他、使徒や大祭司、悪魔や天使、そして民衆にも焦点を当てた演出となっていました。10月11日に名古屋キャンパスのパッヘ・スクエアにて上演され、虫の音が響き渡る中、幻想的な場面が次から次へと繰り広げられ、2時間30分におよぶ「受難」は感動の中に今年も幕を閉じました。

【ストーリー】紀元30年頃、ローマの支配下にあったパレスチナの人々は、権力者からの圧政や貧困などに苦しみ、希望を見い出せないでいました。そこに、聖母マリアから生まれた神の子イエスが現れました。イエスは多くの奇跡を起こし、次第に人々に信頼され、ユダヤ人の救い主「救世主」と呼ばれるようになります。弟子を引き連れて首都エルサレムに来城すると、人々は大いに歓迎しました。しかし、ファリサイ派の律法学者や大祭司、イエスのことを理解できなかった民衆は、イエスを受け入れず、ついにはイエスの弟子の1人であるユダも、悪魔サタンに誘惑されてイエスを裏切り、イエスを大祭司たちに引き渡してしまいました。そして、裁判にかけられたイエスは死刑判決を言い渡されます。イエスを支持していた民衆も一変、イエスを非難しました。イエスは多くの罵声を浴びながら自らの十字架を背負って処刑の地ゴルゴダの丘へ向かいました。十字架刑が執行され、多くの弟子が悲しみに浸っていると、弟子の1人が「イエスの想いを世界に伝えに行きましょう」と言い出しましたが、そのことに戸惑う弟子もいました。しかし、処刑から3日後、イエスが墓から居なくなりました。そこで弟子たちは、イエスが「3日後に復活する」と話していたことを思い出しました。復活したイエスに出会い、天使ミカエルの諭しもあり、弟子たちはイエスの想いを世界に伝えるため、旅立ちました。

「受難」について 南山大学長 野外宗教劇部長 ミカエル・カルマノ

「キリスト教」と言えばと尋ねると、信者でない方も中心的な教えの具体例として「愛の掟」をあげるのではないでしょうか。これは決して間違いではありませんが、もっと根本的な言葉に「イエスは生きておられる」という、イエスの復活を宣言するイエスの弟子たちの喜びに満ちた叫び声があります。

受難劇は毎年アレンジが加わりますが、根本的なメッセージは変わっていません。民衆に「神の国」を解くイエスの説教、そして「イエスは生きておられる」という弟子たちの叫び声、これらに潜まれているメッセージは、問題提起という形で今年もパッヘ・スクエアに響き渡りました。ここで言う問題の中心は「神の国」の意味内容です。救いを待ち望んでいる人やイエスに出会った人のそれぞれの想いと、イエスが伝えようとした「神の国」の意義との間に生じている誤解と葛藤が劇中に描かれました。

最後に「イエスは生きておられる」と実感した弟子たちは、チャレンジが多いイエスの道を選び、「さあ、俺たちも旅立とう。」と、劇の終わりのところで新しい“Happy Beginning”を実践しました。この受難劇を通して、人生に対する考えを少しだけ新しくしてみていただければと思います。

学生の声 野外宗教劇主幹 棟居 悠(経済学部経済学科3年)

私たち野外宗教劇は、受難劇のために5月から練習を始め夏休みもほぼ毎日練習をしてきました。部員に演劇経験者がほとんどいなく、演出や脚本も自分達で考えその中で毎日練習をするのは大変でしたが、頼もしい後輩や同級生達の協力、先輩からの的確なアドバイスによりなんとか今年も受難劇を成功することができました。

また今年は、初めて南山高校男子部で受難劇公演をしました。高校での公演は何もかも初めてで、大学での公演とは勝手が違い戸惑うことばかりでしたが、公演が無事成功し、部員達の結束も固まり、私自身も主幹として達成感を得ることができました。

この公演に協力してくださった関係者の皆様、エキストラとして参加していただいた全ての団体様、そしてご来場いただいた皆様に感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました。