拙著『プライバシーのドラマトゥルギー』を世界思想社から出してから早くも9年の歳月を経た。当時は、書けばすぐに別のテーマに移ろうと考えていた。だが、現代の情報化とプライバシーについては最終章でふれただけだったので、ふと、これを思う存分論じて完結させたいという欲が出た。出版社からの話もあり、『ポスト・プライバシー』(プライバシー後のプライバシー)というタイトルで書くことになった。
近代のプライバシー萌芽期から、20世紀のプライバシー意識の高揚までを探求した私には、今日のいわゆる情報セキュリティ=プライバシーにはまったく違和感がある。プライバシー概念はここ数十年で大きく変化したが、これはプライバシーだけの問題ではない。むしろこの概念の変化が示すのは、社会システムのあり方と私たちの人間観の移り変わりだ。
もともとプライバシーは人間の尊厳と結びつく概念であった。しかし今日のそれは、そうではない。むしろその対極にあるように思える。評論家の東浩紀氏は、監視社会化を論じるなかで、今の情報化に人間の動物化を見ている。基本的には共感するが、私は人々のプライバシー観の変化や、また近代の個人の聖化(尊厳)を考えたゴフマン社会学の観点を通じて、個人を脱聖化しつつある社会変化を見ようと考えた。
当初は2年で書き終える予定であった。ところが予想外に難航した。構想はあるのだが、うまくそれを表現できない。一方、問題をとりまく環境は急速に変化しつつある。原稿執筆は速い方だと自負していたが、今回はそうはいかなかった。
それもようやくこの3月に書き終えた。完成原稿の作成に手間取り、8月末にようやく完成したが、長く苦しい戦いを終えた心境だ。最終的にこれを可能にしてくれたのは、本学の研究休暇制度であり、その利用を許してくれた大学およびスタッフの方々に心から感謝申し上げたい。次は経済社会学に本腰を入れてとりかかるつもりだ。 |