南山大学

 

カルマノ学長 My Life Story : 第二章 「鎌倉・名古屋・アメリカ −充実の学生時代」

日本へ (22歳)

神父を目指し、神学と哲学を学んでいた神学生時代。しかしある日、ドイツから日本の神学校へ編入してしまいます。

編入の理由は?
「常々、宣教師として外国で働きたいと思っていました。だったら一刻も早く外国に、つまり日本に行きたいと思ったんです」
なぜ日本を選んだのですか?
「2学年上だったマルクス前学長(現南山学園理事長兼南山小学校長)が、南山大学の外国人留学生第一号として日本に行ったんです。そういう生き方もいいかなー、と思って」
日本へのあこがれが強かったのでしょうか?
「いいえ、全くありませんでした(笑)。日本にいるマルクスと手紙のやり取りをしていましたが、日本に関することは何も書いてなかった。だから、日本について何も知らなかった。ただ、マルクスが日本にいるから自分も、と。日本を選んだのは・・・、たまたまですね(笑)」
2008年 59歳 現在のマルクス前学長(右)とカルマノ学長(左)

何はともあれ、運命に導かれ(?) 来日。日本語を習得するため、日本語学校に入ります。

初めての日本の印象は?
「当時暮らしていたのが鎌倉だったんです。だからひっきりなしに修学旅行のバスが来る。降りてくる学生は、みんな同じ服を着て、同じ顔をして、当時の私には理解できなかった日本語を話して・・・。みんな真面目そうだな、と思いました」
多くの外国人の方から、日本語は難しいと聞きますが・・・
「とても難しいですね。日本語は今まで学んだ言語と文法が全く違う。単語を覚えるのに苦労したし、漢字の多さにも参ってしまい・・・」
1971年 22歳 京都にて

母国語ドイツ語以外にも、わずか3ヶ月でマスターした英語、さらにはフランス語・ラテン語・イタリア語・ギリシャ語・ヘブライ語など、多くの言語に堪能なカルマノ学長。しかし、日本語の習得には相当苦労されたようです。
苦労の甲斐あって、今では日本人以上に日本語を多彩に操ります。
もう一つ、日本の第一印象として強烈に心に刻まれたことがあるそうです。

1971年 22歳 鎌倉の部屋で「この部屋でムカデと生活(?)」
それは・・・?
「ムカデにビックリしたんです。部屋に出るんですよ!」
毎日ムカデと格闘していたのですか?
「いいえ、静かに見守っていました。私は適応力が高いから、どんな状況もすぐに受け入れることができるんです。人からはよく鈍感だと言われますが…」
1971年 22歳 鎌倉の部屋で「この部屋でムカデと生活(?)」

南山大学に編入 (24歳)

日本語習得後は、南山大学の文学部神学科に進みます。
ドイツの神学校に入学した時からすでに決まっていた進路でした。

在学中はオーケストラでバイオリンを担当したり、夏は登山、冬はスキーと、学生生活を謳歌しました。

1973年 24歳 上高地への登山

「毎年、長野県・栂池にある南山大学の山荘に泊まってスキーをしたのですが、本当に楽しかった」

1973年 24歳 神学校ブラスバンド 1974年 25歳 南山大学オーケストラ演奏会
1974年 25歳 オーケストラ 1975年 26歳 東京セミナリーブラスバンド

教員を目指し、アメリカへ (26歳)

南山大学を卒業後、アメリカへ渡ります。これまで学んでいた神学とは別に、教員になる勉強をするためです。

勉学に励む傍ら、スポーツも楽しみました。
シカゴマラソンに出場し、42kmを完走!
――という経験もお持ちです。

5年間にわたり、ワシントンとシカゴの大学で学び、博士号を取得します。

1977年 28歳 ワシントン1978年 29歳 シカゴ1982年 33歳 シカゴ